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すず(泉) 個別表示
 古くからこの地域では、水の湧き出る所を「すず」と言って親しまれ、
清水という漢字も使われています。
 
  1.三助すず 鳥海柳
 江釣子地区の東端、豊富な水が湧き出ており、洒落た形をした「かど」に地域の人達の洗い場として今なお利用されております。『三助』は、このすずを拓いた人の名に由来します。 近辺は商業 地域、住宅密集地として変化した地区であるが以前と変わらぬ清水が湧き出ています。
 
 2.畑中すず(鳥海柳佐藤さんの泉) 鳥海柳
 鳥海柳佐藤家の南側、三助清水の西側の位置に湧き出ており、まったく自然のままの形で管理されているように見られます。近年まで小魚とりで子供たちが遊んでいた微笑ましい光景が浮かぶところです。
 
 3.田中のすず(睡蓮すず) 田中
 すずの名は地区名よりとっており、かつては豊富に湧き出る水を利用して睡蓮の苗を育てて販売していました。その睡蓮畑も今は『釣り堀センター』に生まれ変わり、市民の憩いの場となっています。
 
 4.良さんのすず(猫谷地東すず) 道川
 すずの名は清水の所有者である髙橋良さんの名をもって呼ばれているものであります。この地域は猫谷地古墳群の一帯であり、湧き水が豊富なところでした。ここのすずは大木の切株を掘り起こしたら清水が湧き出てきたと言われています。
 
 5.猫谷地とうはちすず 道川
 この地域一帯に湧く豊かなすずこそが、国指定の有名な猫谷地古墳群を作った人々の生活の基盤となったのでしょう。『とうはち』はこのすずを拓いた人の名に由来すると言われています。 近年は高速道路の工事や、圃場整備に伴う工事の影響などによって、湧き水が出なくなったり、湧水量が少なくなっています。
 
 6.家慶のすず 宿
 すずの名は清水の所有者である江釣子家の屋号が家慶と呼ばれていることに由来しています。 この水で洗うとイボが治るとして子どもたち等がよく訪れてにぎわったところです。水量も多く洗い場も地区の方々により立派に整備され日常生活に利用されています。
 
 7.江釣子神社のすず 宿
 江釣子神社の南斜面の石段を下りたところにあります。 百日咳や眼病に薬効ある水として昔から知られたすずで、江釣子神社境内には咳止め祈願の「吹咳権現神社」があり、坂上田村麻呂の建立と伝えられています。
 
 8.宮杜すず 宿
 江釣子神社のすぐ西に位置し、大きくえぐれた崖の下から水が湧いており、朝鮮芹(クレソン)が少し生えています。かつては大坊堰の水を分水し、落差を利用して水車を回した所です。製氷を試みたコンクリートの枠組みも残っています。
 
 9.全明寺すず 宿
 400年以上前の建立といわれる由緒ある全明寺の西裏境内から湧き出すすずで、昔は水量も多く墓前の供え水として又、生活用水として数多くの人達に愛用されています。 今は杉の木立もなくなり、周りの環境も変わったが新設された鐘楼や水環境整備事業による桜並木と相俟って、美田を通して眺める光景は素晴らしく観光面でも一役果たしそうです。
 
 10.新渡戸芹すず 妻川
 この地域一帯は豊富に湧き出る清水を利用しての芹栽培が有名で県内の主産地となっています。「新渡戸」の屋号を持つ伊藤家が芹栽培の研究を重ね、この湧き水を芹栽培専用に利用しているところから「新渡戸芹清水」と名付けられています。現在では周辺の芹田を潤しています。
 
 11.新渡戸すず 妻川
 新渡戸三清水の一つであります。地区民有志が便利に利用しやすいように整備をした水槽の、奥の杉木立の小さな谷間から湧き出ています。このすずは三段に仕切られ、上は飲用から浸しもの鍋釜等も洗われています。下のほうには濯ぎ場等にかなりの人達にも利用されていました。また昔は水車を回して精米や雑穀等の作業に利用されていました。
 
 12.新渡戸観音すず 妻川
 当国33ヶ所の27番札所、新渡戸寺の崖下に湧くすずで、岩手の名水20選にも選ばれています。付近一帯は豊富な清水の湧き出る場所が点在していたことから、この湧水を利用した芹の栽培で相当の生産量を上げ、「江釣子の芹」として名声を博しています。
 
 13.鑓水のすず 妻川
 鑓水とは屋号(段丘上の家)で、家主が鑓で地面を突き刺したら水が湧き出したとか、別説では阿部貞任が川向こうから射った矢がこの地に突き刺さり、そこから水が湧いたともいわれています。
 清水尻の流れに大きな鯉が数匹飼われています。
 
 14.妻川羽場のすず 妻川
 妻川の羽場と呼ばれる屋号の家、南側段丘下から湧いていることより「羽場の清水」と呼ばれています。戦後は段丘落差を利用して、水車を設置したり、「にじます」を養殖したことがあります。 現在は当時に比べるとかなり水量が少なくなっています。
 
 15.ふるだすず 妻川
 妻川と川内家のちょうど中間に位置し、段丘の部分が大きく窪んでいるところが湧口で、清水の真ん中に大きな岩が一つあり、その岩が「ふるだ」(ガマ蛙)のようであることより愛称されたものです。 昔、このすずには大きなガマが棲みつき、旅ゆく人を惑わした(妖艶な女性のお話)との言い伝えが残っています。
 
 16.川内家古すず 川内家
 杉木立の斜面に古い石組みの間を静かに流れるすずで、かつてはかなりの水量であったといわれ、周辺はウド、フキ、ウルイ、セリ、ミツバなどの山菜が豊富に生えていたところでした。
 
 17.おいの沢すず 川内家
 崖の上の「柏山家」の屋号「おいの沢」に由来する名称です。湧き口から流れる狭い川が「おおかみ沢」といわれていた事より、「おおかみ沢」ではないかという説もあります。昔から水量はあまり多くありませんでしたが、冷たいすずとして知られたところです。
 
 18.川内家谷地すず 川内家
 地権者である千田家の屋号で愛称されています。水量が豊富なすずとして知られた所で、かつては落差を利用して水車を回し、脱穀や精米などに利用していたといわれています。今でも芹洗いなどに利用されています。
 すぐ西側の広域農免道の工事の際に、水脈が切れるのではとの懸念から湧口を道路の地下に埋没して、現在の池に水を通すことにしたら水量も変わらず、難を逃れた経緯があります。
 
 19.桂すず(仁兵どのすず) 川内家
 幹回り4mもある桂の根元から湧くすずで、すずの名は怪力の持ち主『仁兵殿』にまつわる言い伝えに基づいています。 水汲みスポットとして人気のあるところです。旅人がこの泉で喉の渇きをいやし、桂の枝をさし忘れたのが根付いたといわれています。「桂の泉」の名は、水環境事業を実施した際に名称を公募したものです。
 
 20.川内家すず 川内家
 「川内家」とはこのあたりの地域名です。このすず尻から流れ出る豊富な水は、冬期間の芹の洗い水として利用され、立ち並ぶ芹小屋は冬の風物詩となっています。
 
 21.境田のすず(やすらぎの泉) 川内家
 昔は地権者である菅原家の屋号から『境田すず』と呼ばれていましたが、水環境整備事業でこの周辺が整備された際に名称を公募し、『やすらぎの泉』としている経緯があります。同事業等によって東屋や木橋なども造られ、子供たちの水遊びの場になっており、また市民の憩いの場となっています。
 
 22.米造さんのすず 川内家
 「やすらぎの泉」のすぐ西側に位置し、段丘の中程にある石組みの下から湧き出す水は、せせらぎとなって流れ落ちています。落口付近の水溜りには石造りの五重塔やガマ蛙が置かれています。
 
 23.御免町すず 御免町
 市道、妻川・蔵屋敷線の中間点で、御免坂の東側に位置し杉木立の中、石垣の間から静かに湧き水が流れています。『御免町』とはすずの上の旧家『佐藤宅』の屋号でもあり、このあたりの地名でもあります。 昔は水量も多く、快音をたてて流れ、すず尻は子供たちの川魚や沢ガニ捕りの場所でもありました。
 
 24.鍛冶屋すず 御免町
 御免町十文字坂の西側、杉木立のなかで静かに湧き出ています。昔、国を追われた侍がこの地に住みつき財をなし、鍛冶屋を呼んでこの地に住まわせ、野鍛冶を営ませておりました。この侍、時は経っても武士の魂は捨てがたく、密かに刀や槍を作らせ有事に備えていたという言い伝えが残されています。
 
 25.くるま屋すず(ぽんぽこ泉) 佐野
 市道佐野線の東側で水環境整備事業で造られた歩道の出発点となっている場所にあります。市道の根元にある大きな岩石の間から、こんこんと湧き出ている。このすずの西側には江釣子村当時に豊富な湧水を利用して、鯉やナマズを養殖していた跡があり現在は佐野親水公園となっています。
 すずの名は地権者の屋号から『車屋すず』と呼ばれていたもので、かつては滝のように流れる水を利用して水車を回し、近隣の人達が米搗きなどに利用した大切なすずでした。「ぽんぽこ泉」とは、公募によって選定されたものです。
 
 26.蔵屋敷上のすず 蔵屋敷
 「上の清水」とは、地権者である髙橋家の屋号が蔵屋敷の上と呼ばれていたことから由来しています。かつては湧水量も多く、すず尻は広く大きくプール代わりの遊び場でした。野中方面も含めた地域の野菜洗いなどで賑わい、日常生活に欠くことの出来ないすずでありましたが、今はすっかり変わって昔の面影が消え、狭く小さくなった湧口となっている。
 
 27.蔵屋敷すず 蔵屋敷
 ここは江釣子の西南端で和賀町長沼との境に位置するところであります。「蔵屋敷」とは、むかし暇なく稼いで辛抱し、米蔵や金蔵を建て、又は洪水等に備えてか米蔵が並んでいたことから地名になっています。湧口は道路の南崖下で、長沼湧水群からの豊富な水が流れ、洗い場に降りる急な階段となっています。周囲の環境もすぐ前に老人福祉施設等も建設されるなど、すっかり変貌してしまっています。
 
 28.舘のすず
 体育館裏手にあるフェンスに囲まれた池のような大きな泉。この泉は舘の清水と称されて、昔、江釣子城の舘跡といわれています。 水量は相当なもので、昔は沼のようになっていて魚の宝庫で、子供、大人達に親しまれた場所でした。この泉の底には梵鐘が沈められてあり、夕闇が迫る頃にかすかに鐘の音が響いてくるとか、石を投げれば鐘の音となって返ってくるという伝説があります。
 
 29.和野のすず 和野
 和野とは地区の地名であり、住宅地より少し下がったところから湧き出ている。湧き口には石祠があって水神様が祀られています。 種付けの時期には種もみをこの泉に浸し、今年の豊作を祈願しました。以前は地区の自治公民館がすぐ脇にあったが、老朽化により移転してからはこの清水の利用も少なくなりました。
 
 30.地蔵流れすず きたかみ景観資産 No.113 中通
 滑田の梅ノ木地区にあり、以前は水量も多く村一番の清水と言われたが最近は湧水量が少なくなってきています。 昔、前を流れる薬師川に流れてきたお地蔵様を拾い上げ、水神様としてこの地に奉り、お堂を建てたのがこの清水の由来となっています。
 
 31.滑田すず 中通
 滑田清水といっても、ここは和野地区のすぐ西に位置しております。老杉の根元近くに湧き口があり、最近は昔に比べ水量は少なくなっているが水田に水が入ってからは水量が増すとのことです。 地区の方々には、夏は冷蔵庫代わりに、冬はホヤホヤと湯気を出し、生活用水に重宝がられております。
 
 32.道の上つつみがしらのすず 道の上
 現在はすずというより沼のような状況となっており、防護柵としてフェンスが施されている。西隅に堤神さまを祀って、田の神とし豊作を祈願しています。昔は、周辺に数か所の泉があって、その水を集めて堤を築き、この地区の水田を潤していた重要な堤でした。 ここの清水は横川目の御前淵とつながっているといわれ、御前淵に糠をまけばつつみがしらに浮かび上がるとの言い伝えがあります。
 
 33.鳩岡崎すず(吉兵衛さんのすず) 鳩岡崎
 鳩岡崎遺跡の南西100m余りの、後藤家の屋敷のはずれ杉木立の中から清らかな泉が音もなく湧き出ています。 昔、この丘は眺望絶佳、洪水や災害を防ぐには格好の場所であり、古来よりこの泉を生活用水としていたことが偲ばれます。この泉の周辺は今でも、季節の山菜が豊富です。
 
 34.小刀すず 道の上
 江釣子の西北端で和賀町と境を接するあたり、部落も尽きると思われる田んぼの中に一ヵ所木立が残されている所にあります。 昔、旅の僧がこの地にさしかかり、のどの渇きを覚え、水を探しましたが見つからず倒れ伏し、懐の小刀で地面を掘ったところ水が湧いたという伝説が伝えられています。
 
 35.佐野親水公園 きたかみ景観資産 No.109 佐野
 江釣子湧水群の西端で、市道佐野線の西側(ぽんぽこ泉の西側)に位置している。かつては(江釣子村当時)近辺からの湧水を利用して、鯉とアメリカ鯰の養殖場としていたところですが、水環境整備事業によって、現在は親水公園に生まれ変わっているものであります。 市民の憩いの場、並びにウォーキング仲間の出発・終着点として親しまれております。
 
 36.松ノ木田すず 宿
 昔、付近一帯は葦原であったが、その中に湧き出ているすずを見つけ、のちに居を構えた屋号を付して「松ノ木田すず」と呼んでいます。
 往古は、飲用として重宝されたが、昭和の末ころまでは道行く人々ののどをうるおしていた。
 
 37.長清水 和賀町
 長清水は「新渡戸観音泉」(下江釣子)と共に「いわての名水二十選」に選定(昭和)60 年・岩手県認定)されました。
 わき出る水量が多く、昔からどんな日照りの年でも枯れたことはないといわれています。