すず(泉)
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歴代村長
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初代 髙橋半助(たかはし はんすけ) |
明治22(1889)年~
在任 9年10カ月 |
天保6年(1835)上江釣子生まれ。藤根小学校下等教師、江釣子小学校助手、上江釣子村の小学校開設に尽力し、自宅を開放して「上江釣子小学校」としました。
明治22年(1889)の岩手県の新市町村制のより、6ヶ村(上江釣子・下江釣子・鳩岡崎・滑田・新平・北鬼柳)合併による新村の初代村長に就任し、10年間にわたり江釣子村の基礎づくりに貢献しました。 |
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2代 平山義道(ひらやま よしみち) |
明治32(1899)年~
在任 4年1カ月 |
文久2年(1862)花巻川口生まれ。稗貫東西和賀郡長の配下で郡役所の勧業係などを担当した後、明治32年(1899)1月29日に2代江釣子村長に就任。
北鬼柳尋常小学校と江釣子尋常小学校を統合して新校舎を建設するとともに、滑田尋常小学校も新築する案件の取りまとめに尽力しました。また、上江釣子地内に隔離病舎を建設して村民保健の向上にも努めました。明治36年(1903)2月24日退任。 |
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3代 後藤嘉津見(ごとう かづみ) |
明治36(1903)年~
在任 1年4カ月 |
明治2年(1869)8月17日、元黒沢尻代官所御物書後藤藤八の長男として鳩岡崎村(堂前)に生まれる。後藤家は食邑(領地)90余石といわれた郷士(その土地に住みついた武士)の家柄であり、当家に関する後藤文書はつとに有名です(現在の後藤雅章家)。
官僚村長であった平山義道の後任として明治36年(1903)2月25日に3代村長に就任。明治37年(1904)7月1日退任。 |
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4代 竹村徳兵衛(たけむら とくべえ) |
明治37(1904)年~
在任 10年10カ月 |
慶応2年(1866)2月6日、北鬼柳村佐藤九兵衛の二男として生まれる(兄は佐藤新蔵<県会議員・弁護士>)。明治17年(1884)黒沢尻村町分竹村フチの養子になる。
黒沢尻戸長横川謙吉のもとで書役をしていましたが、兄新蔵が亡くなり藤木の生家に戻る。明治27年(1894)3月県会議員に当選しましたが翌年辞職。
明治37年(1904)9月から大正4年(1915)7月まで4代村長を務めました。 |
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5代 瀬川雅夫(せがわ まさお) |
大正4(1915)年~
在任 3年5カ月 |
文久2年(1862)9月20日、下江釣子村瀬川吉謙の長男として生まれる。
明治17年(1884)5月3日、岩手医学校調剤課に月給7円で任命。
明治37年(1904)の戦没記念碑には陸軍三等軍医正八位と刻まれています。
大正4年(1915)11月18日の村会村長選挙で当選して5代村長に就任。
職業としての医師と有給村長としての職務を継続。
無集配郵便局設置の申請や江釣子停車場設置の運動を推進するなど、前向きの積極的な施策が多い。大正8年(1919)7月9日辞職。 |
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6代 清谷有信(きよたに ゆうしん) |
大正8(1919)年~
在任 1年6カ月 |
明治20年(1887)11月15日、下江釣子村通来寺住職石田賢随の二男として生まれる。早稲田大学政治経済学科を出て東京の貿易会社に入社。千葉県銚子の清谷家に入り法統を継ぐことになっていました。
大正8年(1919)8月30日、6代村長に選出される。大正10年(1921)3月30日辞表を提出して宮内省に入省。
太平洋戦争のため郷里に疎開していたが、昭和22年(1947)兄景因の跡を継ぎ通来寺の住職になりました。 |
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7代 竹村徳兵衛(たけむら とくべえ) |
大正10(1912)年~
在任 8か月 |
明治44年(1911)9月県会に再出馬して4期を務め、国鉄誘致や県立黒沢尻中学の創設などに尽力しました。
大正10年(1912)8月1日、7代村長に就任。大正11年(1913)3月23日、現職のまま58歳で急逝。その顕彰碑は江釣子神社境内に建立され、永くその徳を称えています。 |
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8代 伊藤荘太(いとう そうた) |
大正11(1913)年~
在任 1年8カ月 |
明治9年(1876)6月4日、上江釣子村伊藤弥惣六の長男として生まれる。幼名荘太郎、日露の役に従軍する時荘太に改名しています。
大正11年(1913)6月に8代村長に就任。大正13年(1915)1月31日辞職。 |
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9代 佐々木昌之助(ささき しょうのすけ) |
大正13(1915)年~
在任 4年10カ月 |
明治2年(1869)12月5日、西磐井郡永井村生まれ。和賀郡書記であったが、職務管掌臨時村長として県から派遣され大正13年(1915)2月1日着任。自ら倹約の範を示して職員を指導。財政の立て直しに努力する佐々木の誠意に村会も動かされ大正13年8月22日、正式に9代村長に就任。昭和5年(1930)6月6日退職。 |
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10代 伊藤繁治(いとう しげはる) |
昭和5(1930)年~
在任 2年10カ月 |
明治6年(1873)12月10日、上江釣子村伊藤弥四朗家に生まれる。幼名茂治。明治19年(1886)黒沢尻町熊谷岩蔵の養子になりましたが、明治28年(1895)に復籍して33年(1900)に繁治と改名しました。
明治24年(1891)岩手県尋常中学校(現盛岡一校)を卒業後、東京医学専門学校へ入学して医師になりました。母校の附属病院から村に帰り開業し、和賀病院へも勤務しました。明治38年(1905)学校医を委託され、トラホーム撲滅に尽力しました。
昭和5年(1930)8月に10代村長に就任。昭和8年(1933)6月28日辞任。 |
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11代 髙橋侃(たかはし がん) |
昭和8(1933)年~
在任 12年7カ月 |
明治22年(1889)9月22日、滑田高橋善業の長男として生まれる。幼名善三郎。
明治42年(1909)9月北海道巡査、大正13年(1924)岩手県警部として帰郷し久慈・二戸・水沢・花巻などの警察署長を歴任しました。
昭和8年(1933)8月13日、11代村長に就任し、21年(1946)3月11日退任。西部鉱山地帯の鉱毒問題解決に尽力しました。昭和10年(1935)9月岩手県会議員に当選し、21年(1946) 11月まで12年間県政に参与しました。 |
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12代 伊藤俊次(いとう しゅんじ) |
昭和21(1946)年~
在任 6カ月 |
明治35年(1902)9月25日、新平生まれ。
昭和8年(1933)から21年(1946)まで江釣子村会議員、昭和15年(1940)から21(1946)年まで7代助役。昭和21(1946)年5月から同年11月まで、12代村長を務めました。 |
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13代 菊池與右エ門(きくち よえもん) |
昭和22(1947)年~
在任 12年 |
明治35年(1902)1月30日、上江釣子生まれ。
昭和22年(1947)4月5日、13代村長に就任し3期務めて昭和34年(1959)年4月29日退任。この間、昭和23年(1948)から33年(1958)まで江釣子村農業協同組合長も務めました。昭和30年(1955)勲五等瑞宝章受章。昭和44年(1969)村勢功労表彰(地方自治)。 |
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14代 髙橋 藤作(たかはし とうさく) |
昭和34(1959)年~
在任 3年11カ月 |
明治40年(1907)12月25日、上江釣子に生まれる。昭和31年(1956)10月から34年(1959)4月まで及び昭和47年(1972)11月から昭和51年(1976)11月まで江釣子村教育長。昭和34年(1959)4月30日、14代村長に就任。昭和38年(1963)年3月20日退任。昭和38(1963)年4月から41年(1966)3月まで岩手県議会議員。昭和44年(1969)村勢功労表彰(教育文化)。 |
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15代 谷地畝弥吉(やちうね やきち) |
昭和38(1963)年~
在任 8年 |
明治44年(1911)8月8日、北鬼柳に生まれる。
大正14年(1925)村役場書記に入職し昭和21年(1946)まで22年間村職員。昭和21年(1946)から38年(1963)まで村助役を5期17年。
昭和38年(1963)4月30日、15代村長に就任し2期務めて昭和46年(1971)4月29日退任。
昭和51(1976)年から59年(1984)まで和賀中央土地改良区理事長。昭和46年(1971)藍綬褒章受章(地方自治功労)。昭和46年村勢功労表彰(地方自治)。 |
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16代 髙橋源二郎(たかはし げんじろう) |
昭和46(1971)年~
在任 8カ月 |
大正11年(1922)1月27日、滑田に生まれる。
昭和14年(1941)花巻農学校卒業。兵役の後、昭和21年(1946)県営農指導員。昭和26年(1951)6月から43年(1968)5月まで江釣子村農業協同組合専務理事。昭和34年(1959)5月から42年(1967)3月まで江釣子村農業協同組合長。
昭和46年(1971)4月30日、16代村長に就任。同年12月31日現職で逝去。昭和47年(1972)村勢功労表彰(故人表彰)。 |
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17代 伊藤勇(いとう いさみ) |
昭和47(1972)年~
在任 4年8カ月 |
大正3年(1914)11月25日、下江釣子に生まれる。
昭和43年(1968)から48年(1973)まで江釣子村農業協同組合長。
昭和47年(1972)2月20日、17代村長に就任。昭和51年(1976)10月18日現職で逝去。昭和51年(1976)村勢功労表彰(故人表彰)。 |
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18代 菊池秀雄(きくち ひでお) |
昭和51(1976)年~
在任 14年4カ月 |
昭和2年(1927)2月28日、上江釣子に生まれる。旧制黒沢尻中学校卒業。南方戦線に従事。戦後県庁に入職。
昭和51年(1976)11月21日、18代村長に就任し4期務めて平成3年(1991)3月31日、北上市・和賀町・江釣子村の合併により退任。
平成3(1991)年4月1日から平成6年(1994)5月31日まで北上市収入役。平成8年(1996)市勢功労表彰。 |
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